「マッチ箱の脳」、そしてロボット

マッチ箱の脳 WEB version(ほぼ日刊イトイ新聞)

今までの人工知能にはどんなものがあったか、ざっくりまとめたエントリが必要かも、と思っていたが、このページが私達一般人にもわかりやすくまとめているので代用してしまいます。 (手抜き)

このページで触れられているのは、個体の知能としては4つ、

  • ニューラルネットワーク(NN)
  • 遺伝的アルゴリズム(GA)
  • プロダクション・システム(ルールベースの推論システム)
  • 包摂ウーキテクチャ (昆虫のような)

で、群れ・カオス、などは、1個体が能力として持つ知能としては分類的にやや違うと思う。

このなかで前者3つは、具体的な問題を解くことに主眼が置かれている。4つ目の包摂アーキテクチャ(昆虫タイプ)は、ブルックスによって1986年に唱えられた、比較的新しいタイプ。 環境とのやりとりを通して、だんだん最適化していく方式で、前者三つが、入力→脳みそ→出力、といったプラットフォームを前提に考えられている(ように見える)のに対しかなり趣が違う。 それまでのAIは記号処理だけでやろうとしいた事に異を唱えるものだ。

ブルックスの考えはロボットの研究から生まれたもので、人工知能は脳だけでなく、身体を持って環境に働きかけ、また環境から影響を受けることで、新しい情報を生み出し学習していくことが可能になる点を説いている。 「身体性」が重要であるという訳だ。

余談だが、Wikipediaの日本語に身体性のページが無かったので、2008年8月に私が加えた。 (単に 『AI事典 第2版』からエッセンスを抜き出して書いただけだが。)

これらの各方式は、パーソナルAIを作る上でヒントになるが、その後、さらに重要な示唆を与えてくれる考えも現れた。
その重要な示唆、ジェフ・ホーキンスの話は後ほど。

パーソナルAI考~いつコード書くの? まだでしょ!

パーソナルAI開発の、大局的なスケジュール観。

前にも書いたとおり、生活をサポートし、会話もしてくれるAIを、実際に作って動かしたいと考えている。 では、いつから始めるのか?

とりあえずプラットフォームとしては、専用のPCを1台用意し、その上で動くプログラムを作り、24時間、365日 稼働させ続ける。  そこで分かったことがあれば、徐々に改良していく、というアプローチを取る。 プログラムは当然、何度でも書き換えるだろろうし、ハードウェアも必要に応じて変えていく。 USBカメラを付ける程度のこともあれば、FPGAなどを利用して何かを作る必要に迫られるかも知れない。 改良のプロセスは、何年も続くことだろう。 (…続くといいけどなぁ)

いま一番悩んでいるのは、いったいどんなプログラムから作り始めればいいのか? というところ。 来月になったらコーディングを始めているのかと言うと 「うーん…」 という感触だし、「では 3ヶ月後には始めているのか?」と問われると、やはり 「うーん…」というのが正直なところだ。 しかし、来年の今頃は、何らかのコードが24時間稼働しているPCがあって、改良のプロセスが回っているくらいにはしたい。

先日より、”パーソナルAI” について思うことを書き出していったら、半分想定はしていたが、前提となる条件や知識、今まで考えていた内容など、たくさんのアイテムが湧き出てきた。 思案していた一部の内容は、以前より別の FSwiki などに書き連ねていたのだが、書いても書いても全然書き足りない。 なので、しばらくはそれらのアイテムを表出・文章化して行くことで、どんな設計にして、どんなプログラムから着手すべきかのヒントにしていきたいと思う。

 

 

パーソナルAI考 ~ 「金」に相当するものは

“人工知能” は、インフレを起こす。

コンピューターが何か問題を解くとき、アルゴリズムが存在する。例えば、二つの自然数の最大公約数を求めるには、ユークリッドの互除法の手順に従えばよい、というように。 このように、単純な手続きで解ける問題もあれば、そうでない問題もある。 ヒトなら解ける問題を機械で解くにはどうすればいいか。 人工知能の教科書は、大抵このようなくだりで始まる。

チェスや将棋の相手をするプログラムはそのようなものの一つであるが、今はまったく珍しくない。白物家電が宣伝文句に「人工知能搭載!」とうたった時期もあるが、ぶっちゃけて言えば「少し凝ったプログラム」によって、部屋の温度を調整したり、衣料の汚れをセンサーで感知して水量や洗う時間を手加減しているだけである。

こうやって、かつては人工知能と呼んでいたものが、”インフレ”の結果、今はそう呼ばなくなったものは多い。

もしもタイムマシンがあって、1980年頃の自分に会いに行って、iPhoneのSiriを見せたら、たいそう驚くと思う。でも、数十分使って、「これはHAL-9000みたいなものじゃないよね」とも言うと思う。

時代が変わってインフレが起きても、紙くずに変わる紙幣のようなものではない、「金」に相当する絶対的な人工知能システムが存在しそうである。 「強いAI」と呼ばれているもの。それはまだ存在しない。(と思う)

パーソナルAI考 ~そのシステムの目的

人間の生活を助けるパーソナルAI。それは、どんな目的を持ったシステムなのか。

(余談…前回の通り、個人向けのコンピューターをパーソナルコンピューターと呼んでいるのに倣って、ここではとりあえず「パーソナルAI」と呼んでいるが、もっといい呼称は無いかとも思っている。家庭で使われるので 「ホームAI」 とか? )

HAL-9000は、木星へ行く宇宙船の運航管理と、乗組員の生存の安全を守るシステムだった。チェインバーは「パイロット支援啓発インターフェースシステム」で、サポート対象がパイロット(兵士)であるが、戦闘を優位に進めるために、情報的にパイロットをサポートし兵器を管理するだけでなく、パイロットの睡眠を管理したり健康面のサポートもするAIであった。

パーソナルAIも基本はヒトを支援するものであるとすれば、ほぼ同様な目的を持って稼働するモノとなるであろう。 すなわち、マスター(ご主人様)に対して、

  • 生存・安全の確保 (室温調整、防犯や急病時のサポート)
  • 健康維持に関するサポート
  • 情報面のサポート
  • 家電や機器類のマネジメント

を第一目的とする。

このような目的のシステムが、今まで存在しなかった訳ではない。 パソコンは情報面で役立っているし、防犯ならセキュリティシステム、健康管理には体温計や血圧計など。 それらがもっと積極的にマスターに働きかけてくれる。 例えば、非接触で体調を察知する、質問だけで答えを探してくれる、etc。

防犯や体温計については、会話機能は必ずしも必要ではない。 犬は日本語で話せなくても防犯の役には立っているし、エアコンは室温を一定にする。 会話機能は、本来の機能に付随する、対人間のインターフェース機能と言うことになる。

* * *

もう少し「崇高な」ことも考えている。 パーソナルAIが日常的にマスターと会話し、いろいろな話題で議論するようになった世界では、パーソナルAI によって、マスターは犯罪に手を染めるケースもあるかも知れないし、逆に社会的・道徳的に良好な人物としての成長を促されるかも知れない。
できれば、「良好な方向に」 持って行って、社会をより良くしたいものである。 まさに 「マスター支援啓発インターフェースシステム」 だ。

 

パーソナルAI考~はじめに?

computer は “com-” 共に、”-pute” 考えるもの、である。
1983年、大学受験生だった頃、試験に出る英単語を解説する本に、そのように書いてあった。

1980年以降、ワンボードマイコンがパーソナルコンピューターに発展していった頃から、コンピューターを個人で持てるという期待は高まり、現実化し、値段は下がり、今では職場でも、家庭でも、欠かせない物になった。
あれから30年以上が過ぎて、パーソナルコンピューターは、確かに、ものすごく発達した。PC-8001のクロックは4MHz、メインメモリは良くて32Kバイトだったのが、今やクロックは3GHzを超えて、メモリは4Gバイト、16Gバイトと増えている。
それで、この機械は「共に考え」て、くれるだろうか。いや、できていない。

SF映画やアニメなどの中で、人間と会話し、助けてくれる人工知能が何度も描かれている。HAL-9000、KITT、エンタープライズ号、オモイカネ、チェインバー。
いつかはこういう物を、一生の間に、自分で作りたいと思っていた。

メモリもCPUも貧弱だった’80年代から、おそらく多くの人が同じように考え、アマチュアの中でも似たようなことを始めた人達はいた。しかし作られたのは、”人工無能”と自虐した名称の、遊びのプログラムが大半だった。 文字列を入力されたら文字列を返す。 ELIZA (イライザ)という精神科医を装うプログラムはそれ以前から存在し、それをヒントに語彙を増やしたり、予想外の返答をして笑わせたり。
その後、”人工無能”は、一問一答の手順をくずしたり、大量の会話文をヒントに、マルコフ連鎖などを利用して、それらしい返答を返したりして、より人間臭くなったものの、その内部でちゃんと思考している様子は無かった。

人工知能の本流の方では、Prologのような述語論理をあやつるプログラミング言語が現れ、人間も三段論法を使って思考することから、一気に発展するのではないかとの期待が持たれた。日本でも第五世代コンピュータが国家プロジェクトとして立ち上げられたが、結局何が出来たのか我々国民にはよく分からない。
’80年代から’90年代にかけて、人工知能に対する期待は失望に変わったと言われている。三段論法を処理できれば万事OKではなく、もっと大量のデータが必要だったなど、問題点が山ほど残っていたことが認識されたようである。

量が転じて質となる、だけでは無いと思うが、その後、さらにハードウェアの物量は発達し、プログラム言語も手続き型プログラミングからオブジェクト指向、関数型、LL(Lightweight Language)なども普及し、インターネットによって人間同士の情報も大量に電子化された。 チェスや将棋のような限られた分野では機械が人間を打ち負かしただけではなく、iPhone の Siri のように、声で話しかけて質問に答えるようなものまで身近になっている。

さてそれでは、もう何か作る必要は無くなってしまっただろうか?
いや、そんな事はない。 Siri は音声認識こそ優れているものの、その先は結局 ググレカス だし、僕の部屋にもあなたの部屋にも、HAL-9000もチェインバーもいないではないか。

私達の生活に溶け込んで役立つ存在となったパーソナルコンピューターと同様、私達一人一人に恩恵をもたらしてくれる、「パーソナルAI」が欲しい。 果たしてそれは、いったいどういうモノであればいいのか、そして、どう作ればいいのだろうか?

この課題、10年、20年かかるかも知れないけれど、ずっと考えて取り組んでいくつもりなのであります。

 

WordPressは必要か

WordPressを入れてから1ヶ月くらいか。
ふと思ったが、ここまで重いものが本当に必要だろうか?
うちみたいに、ファンレスの超小型機、低いクロック周波数、軽いOSで低消費電力を意識してWebサーバーとして使うのなら、当然軽いソフトにしなければ意味がない。
内部でMySQLのようなDBが動いてない、CGIで動くWikiみたいなものでも十分役に立ちそうである。

まだ、図や写真が何枚も混ざるようなページを毎日書いている訳ではないので、
やり始めるとメリットを感じるのかも知れないが。
しばらくは体験を通して様子を見よう。

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